2015年5月6日水曜日

枯れて去っていった植物たち

 開花の季節になろうとするところで、今年は、家の二鉢の薔薇が枯れてしまった。
 ひとつは新芽の出るべき頃からもう駄目になっていて、幹がどんどんと枯れていった。もうひとつは、新芽が出て葉が伸び広がり出したところで、急に枯れてしまった。
 おそらく、ふたつとも根がやられたものと見え、どちらも数年間美しい花を咲かせた品種だったので、残念な思いをしている。
 だが、やはりこうなったか、枯れるべくして枯れたのか、という思いもないではない。
 というのも、このところ、家の薔薇がいささか増え過ぎたと感じていて、少し減ってくれるといいが、と内心思っていたためである。
今のところに越して来て、以前から好きだった薔薇にいっそう熱が入り、ずいぶんと鉢を増やした。春や秋には多くの花をつけるのでもちろん楽しいものの、ヴェランダが薔薇園のようになり、さすがに繁茂し過ぎている感じがあった。
これまでの経験からわかるが、持ち主がこんなことを思っていると、植物のほうは、どうも、けっこう敏感に反応してくるようなのである。それ以上伸びなくなったり、急に枯死したりする。本当にそうなるのである。
こちらとしては、もう少し減るといいのだが、などと思っているくらいで、どの鉢ならなくなってもいい、などと考えるわけではないのだが、植物たちのあいだでの申し合わせがあるかのように、どれかがポッと枯死していく。そうなってみて、あゝ、駄目になったのが、まだこの鉢でよかった、などと思うのだから、彼らの申し合わせにも、なかなか水際立ったところがある。
 育て続けてきた植物は、枯れてしまえば、もちろん、さっぱりと抜き取って捨ててしまう。しかし、そうして去っていった株を、それっきり、こちらが忘れてしまうかというと、そうでもない。不思議なもので、手をかけた植物や、日々楽しみに見続けた植物は、思い出の中にいつまでも見えている。
 世田谷住まいの時に妻と買ったゾエという薔薇は、枝ぶりの細いわりに芳香のつよい大きな重い花をつける品種で、透けるような肌の乳房の、重く大き過ぎる女を思わせ、たっぷりとした魅力が比類ないものの、ずいぶん哀れを感じる、と、よく妻が言っていた。越す時に今の住まいに運んできたが、しばらくして枯れてしまった。これと同じ頃に世田谷の近所の花屋で買ったピエール・ド・ロンサールも芳しいきりっとした花付きの薔薇で、こちらは強く、今もヴェランダ中に枝を伸ばしている。
 今年枯れてしまった薔薇は、ともに、こちらに越して来てから西新井薬師の植木屋で買ったもので、牡丹園の見事な花々を見てうっとりした気分のまゝ、帰りの手間になるのも厭わずに購入してきたものだった。
 こちらに持って来る前に世田谷で枯れてしまった、これも香りのよかったオレンジ色の薔薇も忘れがたい。小ぶりの株だったが、毎年、花をいっぱいに咲かせ続けていて、ある年、ぴったりと咲かなくなった。栄養が足りなくなったかと思って次の年を待つと、まるで四季咲きに変ったように春夏秋と咲き続け、ずいぶん頑張っているものだと見ているうちに、ふいに枯死した。最後の精いっぱいの狂い咲きのようだった。
 やはり、陽のかんかん照りのヴェランダに置きっぱなしにして枯死させてしまったジャスミンも忘れがたい。毎年毎年うんざりするほど咲くので、ちょっと飽きていたのだが、この鉢は、夏に水を数日やり忘れて枯らしてしまった。五月頃の満開の時節には、ヴェランダから室内に芳香が流れ込み続けていたものだが、枯れてしまってみると、数年に亘ったひとつの時代が去ったのを思い知らされた。
 妻と会うはるか以前、まったく別の人生を送っていた頃、住んでいた家の庭にいっぱいに繁茂していたマーガレットも忘れがたい。
そこには愛猫もいて、フランス語が日常語として流れており、夏や冬には、フランスでのたっぷりと長い、飽き飽きするようなヴァカンスの日々が必ず混じり入っていた。日本人としてはずいぶん特殊な生活が長々と続いたそれらの日々を、丸ごと語り尽くしておきたいという思いはあるものの、ほぼ不可能なことがわかり過ぎている。小間切れに語り落していくか、思い切ったフィクションを幾つも重ねて掬っていくか、おそらく、他にはなかなか方法はなかろう、と感じられる。

   

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