すでに何年にも亘って、ある手帳会社の日記商品のための俳句・ 短歌選びの仕事をしている。一年間の毎日の日記ページの欄外に、 一日ひとつずつ、俳句か短歌が印刷される。 商品の中核部分とはいえないが、味を添え、 日記を記す人の思いに確実に影響を与える部分の制作である。
毎年、年末年始はこれに忙殺される。かたちばかりの書斎も机も、 開きっぱなしになった多数の歌集や句集、 幾種類ものの歳時記や辞書類でいっぱいになる。 他の仕事の忙時も重なるので、2月いっぱいまでは、時間刻みの、 追われ通しの日々が続くことになる。
今年、年明けからしばらくして、会社側の担当編集者が替わった。 はじめてではなく、6代目である。ところが、この担当者が…
初代の担当編集者は俳句の実作者でもあり、熱意に溢れ、優秀で、 気づかいも行き届き、話す機会もたびたびあった。 フルート奏者でもあり、得難い人で、よい思い出が残っている。
その人が転職することになり、2代目として、 幼い子を持つ母親に担当してもらうことになった。しかし、 育児の便を図って、会社がすぐに別の楽な部署に異動させたため、 仕事上のやりとりも殆どないまゝ、何か月もしないうちに3代目に 替わることになった。
この3代目も、初代と同じように音楽家で、 音楽の好きな私にはつき合いやすかったが、 俳句や短歌には詳しくなく、仕事上はやゝぎこちなさがあった。 校正作業などがしやすいように、 わざと有名どころの俳句や短歌を多く選んで、 編集者側の仕事が楽になるようにこちらでも計らったりした。が、 イタリアに留学して語学を学んできただけあって、 仕事の勘所をうまく掴んで行ったように見える。
この後に4代目が来たが、この人はタフそうに見える女性で、 やはり俳句や短歌に詳しくはないものの、 なんでもこなして行ってくれるだろうという安心感があった。3代 目といっしょに顔合わせで会った際、3人で話が弾み、 ずいぶん長く話し続けた。飲める口なので、 夏にはいっしょにビールを飲みに行こうという口約束も交わした。
ところが、ふた月ほどで連絡が来て、退社します、と告げられた。 転職が決まったのだという。後任は、馴染みとなった3代目がふた たび務めることになり、3代目改めまして5代目、 ということになった。
こちらには影響は全くないものの、あらためて、3代目即ち5代目 と打ち合わせをした際、どうして4代目は急に転職を?、 という話になった。
そうはっきりとは事情を話してくれないものの、 上司や社内の問題がいろいろとあるらしい。 会社員がおおっぴらに自社の問題を社外の人間に話せないのはあた り前なので、こちらも、 そこをズバリと聞き出そうなどと思うわけではない。しかし、 それとなく洩れてくる言葉の端々から、 だいたいの状況は浮かび上がってくる。
家族経営でやってきて、今もワンマン社長率いる会社で、 社長をイエスマンばかりが取り巻き、 仕事の現場では不愉快なことが少なくないらしい。 おかげで私たちは…と、 ぎりぎりで言いそうになるところを健気に抑えているので、「 わかります、わかります、そんなもんですよ、どこも」と言って、 後は音楽の話にわざと飛んだりした。
昨年の晩秋、この3代目即ち5代目との打ち合わせで、年明け1月 中に原稿をもらいたい、と言われた。もともと、3月半ば頃に仕上 げていた仕事で、近年提出が早まって来ていたものの、 それはこちらの進行がうまく行ったからというだけのことで、 やはり2月一杯までの期日はほしい分量のものである。
1月中とは、ちと早い… ちょうど他の仕事で超多忙な時期でもあり、2月半ばまでは時間が ほしいなァ、と渋ったところ、それでは2月半ばまでにぜひ、 と決まった。
でもどうして締切がそんなに早くなってきたんですか、と聞くと、 部署の社員が辞めて、人員の補充もないため、 どんどんと人手が足りなくなってきていて、と言う。
「なので、個人的なお願いなのですけれど、 はやく進められそうなものは、 少しでもどんどん進めていきたいと思いまして… そうしないと、間に合わなくなっていきそうで…」
続けて、もともとこちらで推測していた社内問題を、 今度はかなりはっきりと聞かされることになった。 内容的にはほぼこちらの思っていた通りで、 時代とずれつつある社長、 現場の仕事をしないイエスマンの幹部たち、 命令ばかり受ける平社員たち…という構図である。
「みんな、それで、 耐えられなくって辞めていったっていうわけですか。あなたは、 でも、よく持ち堪えてますよね」
「…いいえ、私もいつか、急にいなくなる、 ってことになるかもしれないですよ。まあ、頑張りますけれども… 」
事務的に軽々とやれそうなところのある人なので、 どうこう言いながらも続けていく口だろう、とも見えたのだが、 今年の1月後半、この3代目即ち5代目も、 ひょいと退社することになってしまった。
お世話になりました、というメールが来た時には、 こちらはまだ今回の仕事を終えていなかったが、2月半ばまで時間 がほしいと頼みはしたものの、 この人の助けにちょっとでもなればと、 ずいぶん急いで進めていたので、 もう数日で出来上がるところまでは行っていた。
あゝ見えて、本当にもう、 我慢できないところまで来ていたのだろうな、と気づかされた。
はやめに終わらした原稿は、予定よりも2週間ははやい1月末に送 った。数日後、部署から、次の担当者を決めるので、 今後のことはしばらく待ってもらいたい、と連絡が来た。
連絡は、しかし、なかなか来なかった。
2月も半ばが過ぎ、末になって、ようやく、 校正原稿が返信されてきた。
次の担当です、つきましては云々、と、 やや上から目線的なふうもないではない文面が添えられていて、 挨拶もなにもあったものではない。名前も、 姓しか記されていなかった。会社名も、部署名もなしである。
然るべき担当者が見つからず、 上のものが仕方なしに校正したのか。そのための、 このぶっきらぼうさか。
仕事の実際としては、なるほど、しかるべく校正が済んでいき、 来年度の製品の印刷・ 発行に漕ぎつけて行けばいいだけのことではある。 新たな担当編集者と顔合わせをし、今後よろしく、 などと挨拶し合うのは、重要ではないといえば重要ではない。
しかし、最初ぐらい、名前をフルネームで記してこいよ、と思う。 仕事上のやりとりとしては常識中の常識だろう。
しかも、こちらの心中には、 せっかく前の担当者のために急いで仕上げてやったのに、 急いだ分の数週間を全く無駄にしやがって、という思いがある。 新しい編集者には関係のない頼みだったとしても、 そっちの会社の事情のために大幅な調整をしてやったんだぞ、 と思う。
校正の内容にも、いくらか腹立たしいところがあった。 短歌と俳句の基本がわかっていない。 俳句の季語観は短歌には関係ないのだから、 短歌の中に使われている言葉を取り上げて、 この短歌はここに配分してはいけないはずだ、などと言われても、 意味をなさない。
他のポイントを見ると、編集の手際は悪くないのがわかるから、 まるっきり馬鹿ではなさそうだが、 非常識でガサツな不愉快な奴が来たもんだな、 と思わざるを得なかった。
最初の校正で、「ご存じのことと思いますが、 短歌と俳句では云々」と、 中学生でも習うような違いをいちいち細かく指摘しながら指示を書 いて送ってやったら、次からは、 打って変って丁寧なメールが来るようになったが、オマエねェ、 ビジネスにおいては最初の印象はなかなか打ち消せないんだよ、 あからさまにガラッと態度を変えてきやがって…、 とこちらは思う。あっけらかんと態度を変える、この変え振りが、 また不愉快なのである。
いまだにまっとうな挨拶を交わしてはいないし、 メールのやりとりでも、姓しか記して来ない。それどころか、 仕事のメールだというのに、あいかわらず、 会社名も部署も記して来ない。
大丈夫だろうか、この人、…というより、これはこれで、 けっこう面白いタマかもしれないな、と、こちらとしては、 意地悪なことを考えはじめてしまっている始末である。 きっとドデカイ失敗をやらかすんじゃないか、と。 それが見てみたいなァ、と。
この担当者に関して、春になって、面白いことが起こった。
私はビジネス書から専門書まで、 書店や古書店で端から端まで見まくることがあるが、ある日、 そうするうちに、この担当編集者にまつわる記事を見つけた。 手帳紹介や活用術を特集した実用書の中で、 この人物が取材されていて、彼の手帳使用法が紹介されていた。 せっかくページを割いて紹介されているものの、 この人物の手帳使用法とやらは、 他の人々のものとは比較にならないほどありきたりのもので、 なんら新味もエスプリもない。明らかに、 手帳会社の社員だからという理由だけで載っている感じだった。
肩書は、某手帳会社の○○事業部のサブチーフディレクターとある。 本は数年前に発行されたものだから、こいつ、ひょっとして、 歴代の私の担当編集者たちを苦しめてきたヤツのひとりだナ、 と思った。
そう決めつけるわけにはもちろんいかないが、ともかくも、 姓名をろくに名乗りもしないで、 ありふれた姓だけでメールしてくるヤツはこいつだったか、と、 ファーストネームもしっかり覚え、顔写真を見つめ、 趣味までも確認して…ついでにスマホで撮っておいた。
数日後に彼に送ったメールには、 社名も部署名も姓名両方も宛書きして、 あなたは○○○がご趣味だそうだが、 その点では今年はいろいろとイベントもあるのでお忙しいでしょう ね、と付け加えておいた。非常にフレンドリーな、 お上品な皮肉である。
本当に面白かったのは、この後である。面白かったというか、 恐ろしいと思わされたというか…
職場に向かう途中、東京では指折りのファッション街で、私は、 この担当編集者にバッタリ出会った。
出会ったといっても、もちろん、むこうはわからない。
だが、こちらは知っている。
書店で見て、スマホで写真まで撮っておいた人物が、 あの実用書に出ていた写真のまゝ、そのまゝの顔でそこにいる。 店かなにかを探しているようで、スマホを片手に、 道行く人になにか尋ねながら、ひょこひょこと進んでいく。 その界隈には、あまり馴染みがなさそうに見えた。
たゞそれだけのことで、もちろん声もかけなかったが、あゝ、 こいつか、と思った。
こちらから探しもしないのに、一二週間のうちに、 担当編集者にまつわるデーターに接することになった上、 実物まで目の前で観察することになったのだ。
たゞそれだけのこと。いかにもたゞそれだけのことで、今後、 どう見ても、この人物と深く関わるとも思えないものの、 これはいったい、どういうことだろう、と思わざるをえなかった。 シンクロニシティという、あれか。 この人物にまつわる宇宙的な符号と、 たまたま近接する時節に当たっているというわけか。
この人物ひとりについてさえこんなことが起こるならば、 至るところで、さまざまなテーマにおいて、世界では、 似たようなことが起こっているはずだろう、と思われた。 私にまつわるいろいろな情報も、 偶然のように誰かのところに集まってしまう、 というようなことも起こり得るに違いない。 注意深く観察する者ならば、きっと、それに気づき得るだろう。 今回、私はたまたま、 新たな非常識な担当編集者を宛がわれたために、 この人物に注意を向けるようになったのだが、そうでなかったら、 実用書のことも、街での出会いも見過ごしていたかもしれない。
恐ろしいと思わされたのは、こんなことを考えたからである。
さらに言い添えれば、じつは、これで事は終わりなのではない。
この人物の話は今のところ以上の通りだが、 他の人々についても同じような現象が起きている。
こちらで必死になって情報を集めようなどとしないのに、自然に、 いかにも偶然に、ある種の人々の情報だけが集中して目にとまり、 手に入ってくる。こちらとしては、それらに注目して、 頭の中でだけでも然るべき整理とスクラップをしていけば、 それらの人々についてのカルテが自然と出来上がっていくのだ。
いったいなんのために?
どういうわけで?
なぜその人々だけについて?
それはわからないが、この不思議な現象が進行中なのだ。 飽きる暇のない春が、初夏に入り、夏に進んでいこうとしている。
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