2015年5月24日日曜日

頭の臭い



 シャンプーもリンスも使わずに洗髪するようになってから、じぶんの髪と頭皮の臭いがはっきりわかるようになった。
毎日洗っていても、臭う。シャワーで湯をかけながら髪や頭皮を揉むと、臭いが溶け出すのか、湯に流れ出して鼻に届く。その臭いがしなくなるまで、洗う。
悪臭というほどではないが、他人には嗅がせたくないと感じる。じぶんより若い人からは、加齢臭だの世代臭だのとも言われかねないだろう。この臭いを落してから勤めには出たいので、毎朝頭を洗う。

老いて衰弱したら、どうなるのだろう。
老人たちや病人たちの扱われ方を聞くと、病院や施設では週に2回ほど,多くても3回ほどの入浴らしい。不衛生とは言えまい。しかし、彼らの肌は臭い、頭も臭うだろう。きれい好きで通してきた人たちには、たった一日二日のじぶんの体臭も辛く感じるかもしれない。看護師やヘルパーに対して、気持ちがいくらか挫けたりするかもしれない。
じぶんの体を洗う体力がなくなったら、臭うことに慣れていくのか、諦めるのか。
じぶんの臭いに気づかない場合もあろう。老人臭や病人臭を漂わせながら、過去の自慢を看護師にしたり、人生訓めいたことをヘルパーに話したりするかもしれない。看護師やヘルパーは、こんな臭いを発している人が…と思いながら、それを聞くかもしれない。

きれい好きで身だしなみに気を使って生きてきた友が急に末期ガンを宣告され、その治療や介護などの諸々の世話に忙しかった数年、抱き起したり、なにかの必要から体に近づいたりした時、数日洗っていない頭部が臭うことがあった。
美人であり、清潔だったこの人の30年間を見続けてきていた。強く、しっかりした生活者で、働き者で、おしゃれで、私こそいつも頼りにしていたほどだった。
あゝ、この人でさえ臭うのか、と思い、哀れだった。

ひとりの例外もなく、誰もが終いには衰弱していき、じぶんの体はもちろん、場合によっては意識さえ思い通りにならなくなっていく。そんなこの世にあって、すべては結局絶望的である、と思うか、それとも、結局、外見も体裁もどうでもいいのだ、と思うか…
こんなことを考えると、やはり、後者のような思いを我がものとする方向に向かう他なかろうと思う。見栄えや社会的な価値観を旨とする生き方は、心身の衰弱とともに否応なしに棄てていく他ないのではないか。
しかし、そうだとすると、見栄えや浮薄な社会的価値観に大きく左右され続ける普通の生や日常とはなにか。そこでの人間性だの、常識だの、正常だのとはなにか…

介護の際は頭の臭うことがあったものの、この友がとうとう亡くなった際には、緊急治療室のベッドに体を抱いて額や頬にキスをした時も、棺桶の中の顔に最後のキスをした時も、気になるような臭いはしなかった。
看護師や葬儀社の人がきれいに顔や頭を拭いてくれたからかもしれない。
最期にあたっては、臭わなくてよかったね。
心の中で、私は、死者にそう語りかけていた。

2015年5月18日月曜日

高崎まで

絣紬の人間国宝・佐々木苑子展を見に、生まれて初めて群馬県の高崎まで行ってきた。
駅前に立つや、「あ、この地、いい感じ」と嬉しくなる。
駅周辺に面白い光景が広がるわけでもないが、なにかはっきり“いい感じ”なのだ。大地から出てくる波動のようなものの良さだろうか。
  美術館のある《群馬の森》もたっぷりひろびろ、青々として気持ちいい。美術館にはブルーデルもザッキンもあって。

 紬の展覧会そのものは、もちろん圧倒的。
 その道を追求しているわけでもないのに、日本の染色や織りの基本をもっと知りたいと思い、本まで買ったほど。佐々木苑子の仕事風景を映したDVDも、ずいぶん値が張るのに買い込んだ。
もちろん、織りや染織そのものの研究のためではない。文様の扱い、縦糸と横糸の染めの構造などが、こちらの頭をつねに領している文学テキスト研究にもう少し支えるのではないか、と思って。
構造主義批評やフォルマリズム批評を必死に追っていた頃、小説素や詩素という概念で人間が織る全テキストを分析・解釈できると思った。もちろん、文学批評研究者はだれもが同じことを思うが、こういう科学主義を文学に使い過ぎると、先に待っているのは文学の本質を逸れた分析ゴッコという愚行だけとなる。ロラン・バルトがはやばやと、「快楽」という概念を持ち出して、この方向を遮断してくれていたものだが。

帰路のタクシーの運ちゃんと話が弾む。道路脇の麦畑は、あとひと月もすれば黄金色になって麦秋を迎える、と。
 安永蕗子にこんな歌があったナ。
「麦秋の村すぎしかばほのかなる火の匂ひする旅のはじめに」
 見渡すかぎり小麦色に畑が染まる頃、小旅のそぞろ歩きなんか楽しいだろう。
麦は枯れ切ってから刈るのだそうな。麦刈りの後に稲苗を植えるので、このあたりは日本でも最も遅い稲作地だという。
農家をやっているというこの運ちゃん、家でも麦を作っているそうだが、麦の地粉で作ったこの地域のうどんを自慢する。地粉は茶色みを帯び、それで作ったうどんも薄く茶色みがかる。地粉は決まった会社と契約して限定量のみ生産するので、他県には出さない。じゃあ、土産に地粉のうどんを買って帰るか、と決める。
ここぞとばかり土地の話を聞き出そうとする他所者に、「オレは、オレは」と言いながら、いろいろ話してくれる運ちゃんも珍しい。自転車も前に進まなくなるほど激しい上州の空っ風のことや、名物の雷や。それらも、温暖化のせいか、近年は弱まったという。
「竜巻なんかは?」
「竜巻は、ここらはあまりないね。あれは館林のほう」

  麦がよく取れるからだろう、高崎はスパゲティーも名物。地元で知られた《シャンゴ》で、シャンゴ風スパゲティーなるものを少量(といっても150)食べる。
 豚カツを乗せたスパゲティーの上にミートソース掛け。
 このミートソースがちょっと甘く、味噌とトンカツソースをブレンドしたような味。
 なかなか旨い。なんとなく名古屋だなァ。東京でも受けそう。

駅周辺や駅ナカも含め、歩きまわってみてはっきり感じたのが、高崎では人間が元気だ、ということ。
見えないが、しっかり張り切ったエネルギーが人のまわりに出ている。
これなのか、東京に欠けているのは。
地方から来た人がよく、東京の人間たちは死んでいる感じがする、と評する。
この差を感じてのことなんだナ。

2015年5月6日水曜日

連休中も、妻はたったの一日も休みが取れず

 人によってはずいぶん長く休みが取れたという今年の連休中も、妻はたったの一日も休みが取れず、会社に出勤し続けていた。
ある雑誌の編集長だという立場もあるが、会社の他のファッション雑誌の編集長たちは、みな海外の高級リゾートにヴァカンスに出かけ、誰ひとり連休中の出社などしていない中にあって、まさに異例中の異例といえる。
編集長という肩書にも関わらず、彼女が編集部の中でもっとも過酷な平社員生活を強いられている事情については、ゾラやバルザックやモーム、ソルジェニーツィンばりの文学者根性で周囲の人間模様のすべてを虎視眈々と観察し取材し続けている私としては、かならずいつか暴露本を上梓してやろうと思っているテーマのひとつであり、すでに膨大な資料やエピソードは集まったので、そろそろ、部分的に書き出そうかというところ。『どうでもいい話』と題したこの雑文随想集も、じつは、文体練習や切り込み方のアングル研究を兼ねながら、過激な暴露内容を小出しにしていくための山科閑居であるとは、まず、気づかれていまい。
しかも、この『どうでもいい話』、メールで、どうせ読みもしない少数の知人たちに初校を配信する体裁を一段階では採りつつ、じつはネット上にも校正したものを載せていくので、取り扱った対象が存命中であるかぎりは、じわじわとそれを攻撃していく武器となるようにも、当初より目論まれている。すでに物故した腹立たしい不愉快な人物たちについては、ニッポン的な美徳などこれっぽっちも持たない私は、死者にこそ豪勢に鞭打つタイプなので、この溢れ返る情報過多時代、名誉棄損の訴えも現実にはけっこう受けづらいことから、人間の真相を抉り出すという所業の絶好の対象検体と心得て、情け容赦もなく腑分けさせていただく。そもそも文は花や蝶を追うロマンチックなお道具ではないし、私の基盤である広域ロマン主義というものは、社会の永久革命に密接に結びついている虚実とりまぜての過激なレトリックの集合体である。中学時代から文を杖に生きるのを志して以来、まわりの人物や集団や社会を徹底的に観察し、あたかも従順なふりをしながら、彼らの下劣な自我の毒が露わになるところまでつき合い切って、その後は得られた素材を利用しまくって、事実をいかようにも合成し改竄し、後代に向けてイメージと価値観のどんでん返しを企むところに、歴史学なんぞとは違う文学の志はある。文学の徒は、本質的に人類に差し向けられた呵責ない全身スパイなのである。
毒にも薬にもならない文弱な詩人サンだの歌人サンだの、さらにはおフランス文芸のセンセだのというスイートな衣を意図的にいくつも被り続けて、その実、やろうとしているのは、関わってきたいろいろな世界の不条理とアホラシさについてのいくつもの全方位暴露や告発、さらにはラブレー張りの笑い飛ばしの試みなのだから、まァ、ジョナサン・スイフトさんやディケンズさん、ソルジェニーツィンさんのように、もっとも人が悪いタイプかもしれない。いや、司馬遷の『史記』に比肩しうるような、あるいは、1718世紀のヴェルサイユ時代を冷酷に観察し記し続けたサン=シモン公爵(社会思想家のほうではない)の回想録ばりの残酷かつ滑稽な昭和平成年代記を目指しているんです、と言っておけば、まだ人聞きがいいというものか。
いま書き始めたこの文も、本篇というより予告編なので、本気の取り組みはしないで、メモ程度にチャチャッと済ますけれども、ともかくも、今年の連休中もとうとう休みの取れなかった妻の話…に戻ろう。休みが取れなかった、といえば、昨年中も、妻が休んだ土日は、総計して10を超えない。今年について言えば、よく覚えているが、日曜日たったの1日だけである。
どうしてこうなるのか。
このあたりの詳しいことは、いずれ完成する大暴露小説でご披露するので、乞うご期待というところだが、かいつまんで言えば、会社が人員補給を全くしない方針で、あまりにも人手が足らな過ぎること、編集部の部下たち、すなわちスタッフたちの殆どが彼女より年上のオツボネサマで、露骨な怠惰と手抜きを妻にむけて見せつけ続けていること、会社内のさまざまな部署がやはり我儘に他の部署とのスムーズな協力を拒み続け、うまく回っていないこと、とりわけ人事課には馬鹿が巣食い、お友達ばかりを社外から引っぱって来て高給を宛がい、社内を馬鹿の巣窟化させ続けていること、等などである。
どこの会社にも不条理はあり、現場のそこ此処に不満と憤懣、小さな悲劇は渦巻いているものの、今の彼女の立場に向かって覆い被さってくる様々な種類の馬鹿げ切ったゴタゴタの津波は、傍らで見ている私には、とうの昔から、もう喜劇の極みとしか言いようのない段階に達している。
こんな言い方をしてみると、仕事に関する悲喜劇なるものは、たちまち抽象的なマトメになってしまうところがある。長々と告発文にしてもつまらないし、ルポルタージュにしてもカッタルイし、やはり、コメディー小説にでもしないと核心部分が掬いとれないところがあるものだ。そういうものを拵えるには、根気も才覚も執着心も要るし、それなりの編集的理性も要るので、なかなか普通の人々がやり遂せないところがある。だが、私のようなカイブツにはあるんだなァ、それが。
今回のこの短文は、せっかくの長い連休だというのに、妻は出勤し続けで、家族の団欒もなにも御座いませんでした、全く、このヤロウ!、というシンプルな表明が主目的なので、ここら辺で終わってよいのだが、ちょっと自分のことを加えておく。
妻が連休中も、一日たりとも休めない、ということはなにを意味するか。当然、家事は他の誰かがやらないといけない、ということになる。我が家においては、その任に当たるべきは私しかいない。布団干し、掃除、洗濯、買い物…と日々くり返されるわけで、これは連休中に限らず、こちらも勤めに出る普段の日常生活においても変わらない。なにせ、朝から夜遅くまで妻は帰らないが、こちらは夕方に帰る。帰宅のこの数時間のズレが、こちらの家事労働的被搾取の理由となってしまうのだ。万国の家事労働ハズバンドよ、団結せよ!
妻の労働条件の過酷さを傍観しているだけではなく、家事の徹底的な皺寄せということから、こちらも、妻の職場のアホラシさの十二分な被害者であり、当事者なのである。
私の場合、たゞ、家事を含めたあらゆる生活において、あまりに(恥も外聞もなしに、馬鹿丸出しに大いに自慢してしまうけれど)ユーシューすぎるので、軽々と、チョチョイノチョイと、家事程度のことは消化してしまう。なにも家事をしない馬鹿夫がそこらじゅうにノタクッテいるというニッポン世間と比べて妻が幸せだったのは、まさにそこのところで、まるでホテルよろしく、帰宅すると、陽にあたってホカホカになった布団が敷かれていたりする生活を享受できている。重い大根もカボチャも夫が買ってきてくれている。好きな刺身や鶏のナンコツやらも、夫が見つくろって買ってきてくれている。夕食づくりにかぎっては、じつは、腹立たしいことばかりの職場から帰ってきた妻が絶好の気分転換になるからと自らやる場合が多いものの、私も手伝うし、妻の帰宅をLineで知らされた私が、あらかじめ作っておくことも少なくない。
能力のある人間に不平等不公平に仕事が集中するというのは、今、どこの業界でも起こっていることだが、これは家の中でも同じこと。私がもし、家事にまったく疎い、100%会社人間だったらどうだっただろう、あなたは今の仕事なんかやっていられないはずだよ、と時どき妻に言うのだが、「そんな人だったら、最初から結婚してないもん」と答えるのだから、よく言うよ、というお話になって、今回のこの短文も、とりあえず終わりにしておくわけであります。
…という終わらせ方や、エピソードのふざけたドライブぐあいも、じつは文体練習と文章研究の一環なわけだが、さァ、よい子の皆さんには、わッかるかなァ…

枯れて去っていった植物たち

 開花の季節になろうとするところで、今年は、家の二鉢の薔薇が枯れてしまった。
 ひとつは新芽の出るべき頃からもう駄目になっていて、幹がどんどんと枯れていった。もうひとつは、新芽が出て葉が伸び広がり出したところで、急に枯れてしまった。
 おそらく、ふたつとも根がやられたものと見え、どちらも数年間美しい花を咲かせた品種だったので、残念な思いをしている。
 だが、やはりこうなったか、枯れるべくして枯れたのか、という思いもないではない。
 というのも、このところ、家の薔薇がいささか増え過ぎたと感じていて、少し減ってくれるといいが、と内心思っていたためである。
今のところに越して来て、以前から好きだった薔薇にいっそう熱が入り、ずいぶんと鉢を増やした。春や秋には多くの花をつけるのでもちろん楽しいものの、ヴェランダが薔薇園のようになり、さすがに繁茂し過ぎている感じがあった。
これまでの経験からわかるが、持ち主がこんなことを思っていると、植物のほうは、どうも、けっこう敏感に反応してくるようなのである。それ以上伸びなくなったり、急に枯死したりする。本当にそうなるのである。
こちらとしては、もう少し減るといいのだが、などと思っているくらいで、どの鉢ならなくなってもいい、などと考えるわけではないのだが、植物たちのあいだでの申し合わせがあるかのように、どれかがポッと枯死していく。そうなってみて、あゝ、駄目になったのが、まだこの鉢でよかった、などと思うのだから、彼らの申し合わせにも、なかなか水際立ったところがある。
 育て続けてきた植物は、枯れてしまえば、もちろん、さっぱりと抜き取って捨ててしまう。しかし、そうして去っていった株を、それっきり、こちらが忘れてしまうかというと、そうでもない。不思議なもので、手をかけた植物や、日々楽しみに見続けた植物は、思い出の中にいつまでも見えている。
 世田谷住まいの時に妻と買ったゾエという薔薇は、枝ぶりの細いわりに芳香のつよい大きな重い花をつける品種で、透けるような肌の乳房の、重く大き過ぎる女を思わせ、たっぷりとした魅力が比類ないものの、ずいぶん哀れを感じる、と、よく妻が言っていた。越す時に今の住まいに運んできたが、しばらくして枯れてしまった。これと同じ頃に世田谷の近所の花屋で買ったピエール・ド・ロンサールも芳しいきりっとした花付きの薔薇で、こちらは強く、今もヴェランダ中に枝を伸ばしている。
 今年枯れてしまった薔薇は、ともに、こちらに越して来てから西新井薬師の植木屋で買ったもので、牡丹園の見事な花々を見てうっとりした気分のまゝ、帰りの手間になるのも厭わずに購入してきたものだった。
 こちらに持って来る前に世田谷で枯れてしまった、これも香りのよかったオレンジ色の薔薇も忘れがたい。小ぶりの株だったが、毎年、花をいっぱいに咲かせ続けていて、ある年、ぴったりと咲かなくなった。栄養が足りなくなったかと思って次の年を待つと、まるで四季咲きに変ったように春夏秋と咲き続け、ずいぶん頑張っているものだと見ているうちに、ふいに枯死した。最後の精いっぱいの狂い咲きのようだった。
 やはり、陽のかんかん照りのヴェランダに置きっぱなしにして枯死させてしまったジャスミンも忘れがたい。毎年毎年うんざりするほど咲くので、ちょっと飽きていたのだが、この鉢は、夏に水を数日やり忘れて枯らしてしまった。五月頃の満開の時節には、ヴェランダから室内に芳香が流れ込み続けていたものだが、枯れてしまってみると、数年に亘ったひとつの時代が去ったのを思い知らされた。
 妻と会うはるか以前、まったく別の人生を送っていた頃、住んでいた家の庭にいっぱいに繁茂していたマーガレットも忘れがたい。
そこには愛猫もいて、フランス語が日常語として流れており、夏や冬には、フランスでのたっぷりと長い、飽き飽きするようなヴァカンスの日々が必ず混じり入っていた。日本人としてはずいぶん特殊な生活が長々と続いたそれらの日々を、丸ごと語り尽くしておきたいという思いはあるものの、ほぼ不可能なことがわかり過ぎている。小間切れに語り落していくか、思い切ったフィクションを幾つも重ねて掬っていくか、おそらく、他にはなかなか方法はなかろう、と感じられる。

   

2015年5月5日火曜日

自然に、いかにも偶然に、ある種の人々の情報だけが

 すでに何年にも亘って、ある手帳会社の日記商品のための俳句・短歌選びの仕事をしている。一年間の毎日の日記ページの欄外に、一日ひとつずつ、俳句か短歌が印刷される。商品の中核部分とはいえないが、味を添え、日記を記す人の思いに確実に影響を与える部分の制作である。
 毎年、年末年始はこれに忙殺される。かたちばかりの書斎も机も、開きっぱなしになった多数の歌集や句集、幾種類ものの歳時記や辞書類でいっぱいになる。他の仕事の忙時も重なるので、2月いっぱいまでは、時間刻みの、追われ通しの日々が続くことになる。
 今年、年明けからしばらくして、会社側の担当編集者が替わった。はじめてではなく、6代目である。ところが、この担当者が…

 初代の担当編集者は俳句の実作者でもあり、熱意に溢れ、優秀で、気づかいも行き届き、話す機会もたびたびあった。フルート奏者でもあり、得難い人で、よい思い出が残っている。
その人が転職することになり、2代目として、幼い子を持つ母親に担当してもらうことになった。しかし、育児の便を図って、会社がすぐに別の楽な部署に異動させたため、仕事上のやりとりも殆どないまゝ、何か月もしないうちに3代目に替わることになった。
 この3代目も、初代と同じように音楽家で、音楽の好きな私にはつき合いやすかったが、俳句や短歌には詳しくなく、仕事上はやゝぎこちなさがあった。校正作業などがしやすいように、わざと有名どころの俳句や短歌を多く選んで、編集者側の仕事が楽になるようにこちらでも計らったりした。が、イタリアに留学して語学を学んできただけあって、仕事の勘所をうまく掴んで行ったように見える。
 この後に4代目が来たが、この人はタフそうに見える女性で、やはり俳句や短歌に詳しくはないものの、なんでもこなして行ってくれるだろうという安心感があった。3目といっしょに顔合わせで会った際、3人で話が弾み、ずいぶん長く話し続けた。飲める口なので、夏にはいっしょにビールを飲みに行こうという口約束も交わした。
 ところが、ふた月ほどで連絡が来て、退社します、と告げられた。転職が決まったのだという。後任は、馴染みとなった3代目がふたたび務めることになり、3代目改めまして5代目、ということになった。
こちらには影響は全くないものの、あらためて、3代目即ち5代目と打ち合わせをした際、どうして4代目は急に転職を?、という話になった。
そうはっきりとは事情を話してくれないものの、上司や社内の問題がいろいろとあるらしい。会社員がおおっぴらに自社の問題を社外の人間に話せないのはあたり前なので、こちらも、そこをズバリと聞き出そうなどと思うわけではない。しかし、それとなく洩れてくる言葉の端々から、だいたいの状況は浮かび上がってくる。
家族経営でやってきて、今もワンマン社長率いる会社で、社長をイエスマンばかりが取り巻き、仕事の現場では不愉快なことが少なくないらしい。おかげで私たちは…と、ぎりぎりで言いそうになるところを健気に抑えているので、「わかります、わかります、そんなもんですよ、どこも」と言って、後は音楽の話にわざと飛んだりした。

昨年の晩秋、この3代目即ち5代目との打ち合わせで、年明け1中に原稿をもらいたい、と言われた。もともと、3月半ば頃に仕上げていた仕事で、近年提出が早まって来ていたものの、それはこちらの進行がうまく行ったからというだけのことで、やはり2月一杯までの期日はほしい分量のものである。
1月中とは、ちと早い… ちょうど他の仕事で超多忙な時期でもあり、2月半ばまでは時間がほしいなァ、と渋ったところ、それでは2月半ばまでにぜひ、と決まった。
でもどうして締切がそんなに早くなってきたんですか、と聞くと、部署の社員が辞めて、人員の補充もないため、どんどんと人手が足りなくなってきていて、と言う。
「なので、個人的なお願いなのですけれど、はやく進められそうなものは、少しでもどんどん進めていきたいと思いまして… そうしないと、間に合わなくなっていきそうで…」
 続けて、もともとこちらで推測していた社内問題を、今度はかなりはっきりと聞かされることになった。内容的にはほぼこちらの思っていた通りで、時代とずれつつある社長、現場の仕事をしないイエスマンの幹部たち、命令ばかり受ける平社員たち…という構図である。
「みんな、それで、耐えられなくって辞めていったっていうわけですか。あなたは、でも、よく持ち堪えてますよね」
「…いいえ、私もいつか、急にいなくなる、ってことになるかもしれないですよ。まあ、頑張りますけれども…
 事務的に軽々とやれそうなところのある人なので、どうこう言いながらも続けていく口だろう、とも見えたのだが、今年の1月後半、この3代目即ち5代目も、ひょいと退社することになってしまった。
お世話になりました、というメールが来た時には、こちらはまだ今回の仕事を終えていなかったが、2月半ばまで時間がほしいと頼みはしたものの、この人の助けにちょっとでもなればと、ずいぶん急いで進めていたので、もう数日で出来上がるところまでは行っていた。
 あゝ見えて、本当にもう、我慢できないところまで来ていたのだろうな、と気づかされた。
 
 はやめに終わらした原稿は、予定よりも2週間ははやい1月末に送った。数日後、部署から、次の担当者を決めるので、今後のことはしばらく待ってもらいたい、と連絡が来た。
 連絡は、しかし、なかなか来なかった。
2月も半ばが過ぎ、末になって、ようやく、校正原稿が返信されてきた。
 次の担当です、つきましては云々、と、やや上から目線的なふうもないではない文面が添えられていて、挨拶もなにもあったものではない。名前も、姓しか記されていなかった。会社名も、部署名もなしである。
 然るべき担当者が見つからず、上のものが仕方なしに校正したのか。そのための、このぶっきらぼうさか。
 仕事の実際としては、なるほど、しかるべく校正が済んでいき、来年度の製品の印刷・発行に漕ぎつけて行けばいいだけのことではある。新たな担当編集者と顔合わせをし、今後よろしく、などと挨拶し合うのは、重要ではないといえば重要ではない。
 しかし、最初ぐらい、名前をフルネームで記してこいよ、と思う。仕事上のやりとりとしては常識中の常識だろう。
しかも、こちらの心中には、せっかく前の担当者のために急いで仕上げてやったのに、急いだ分の数週間を全く無駄にしやがって、という思いがある。新しい編集者には関係のない頼みだったとしても、そっちの会社の事情のために大幅な調整をしてやったんだぞ、と思う。
 校正の内容にも、いくらか腹立たしいところがあった。短歌と俳句の基本がわかっていない。俳句の季語観は短歌には関係ないのだから、短歌の中に使われている言葉を取り上げて、この短歌はここに配分してはいけないはずだ、などと言われても、意味をなさない。
 他のポイントを見ると、編集の手際は悪くないのがわかるから、まるっきり馬鹿ではなさそうだが、非常識でガサツな不愉快な奴が来たもんだな、と思わざるを得なかった。
 最初の校正で、「ご存じのことと思いますが、短歌と俳句では云々」と、中学生でも習うような違いをいちいち細かく指摘しながら指示を書いて送ってやったら、次からは、打って変って丁寧なメールが来るようになったが、オマエねェ、ビジネスにおいては最初の印象はなかなか打ち消せないんだよ、あからさまにガラッと態度を変えてきやがって…、とこちらは思う。あっけらかんと態度を変える、この変え振りが、また不愉快なのである。
 いまだにまっとうな挨拶を交わしてはいないし、メールのやりとりでも、姓しか記して来ない。それどころか、仕事のメールだというのに、あいかわらず、会社名も部署も記して来ない。
 大丈夫だろうか、この人、…というより、これはこれで、けっこう面白いタマかもしれないな、と、こちらとしては、意地悪なことを考えはじめてしまっている始末である。きっとドデカイ失敗をやらかすんじゃないか、と。それが見てみたいなァ、と。
 
 この担当者に関して、春になって、面白いことが起こった。
 私はビジネス書から専門書まで、書店や古書店で端から端まで見まくることがあるが、ある日、そうするうちに、この担当編集者にまつわる記事を見つけた。手帳紹介や活用術を特集した実用書の中で、この人物が取材されていて、彼の手帳使用法が紹介されていた。せっかくページを割いて紹介されているものの、この人物の手帳使用法とやらは、他の人々のものとは比較にならないほどありきたりのもので、なんら新味もエスプリもない。明らかに、手帳会社の社員だからという理由だけで載っている感じだった。
肩書は、某手帳会社の○○事業部のサブチーフディレクターとある。本は数年前に発行されたものだから、こいつ、ひょっとして、歴代の私の担当編集者たちを苦しめてきたヤツのひとりだナ、と思った。
 そう決めつけるわけにはもちろんいかないが、ともかくも、姓名をろくに名乗りもしないで、ありふれた姓だけでメールしてくるヤツはこいつだったか、と、ファーストネームもしっかり覚え、顔写真を見つめ、趣味までも確認して…ついでにスマホで撮っておいた。
 数日後に彼に送ったメールには、社名も部署名も姓名両方も宛書きして、 あなたは○○○がご趣味だそうだが、その点では今年はいろいろとイベントもあるのでお忙しいでしょうね、と付け加えておいた。非常にフレンドリーな、お上品な皮肉である。

 本当に面白かったのは、この後である。面白かったというか、恐ろしいと思わされたというか…
 職場に向かう途中、東京では指折りのファッション街で、私は、この担当編集者にバッタリ出会った。
 出会ったといっても、もちろん、むこうはわからない。
だが、こちらは知っている。
書店で見て、スマホで写真まで撮っておいた人物が、あの実用書に出ていた写真のまゝ、そのまゝの顔でそこにいる。店かなにかを探しているようで、スマホを片手に、道行く人になにか尋ねながら、ひょこひょこと進んでいく。その界隈には、あまり馴染みがなさそうに見えた。
 たゞそれだけのことで、もちろん声もかけなかったが、あゝ、こいつか、と思った。
 こちらから探しもしないのに、一二週間のうちに、担当編集者にまつわるデーターに接することになった上、実物まで目の前で観察することになったのだ。
 たゞそれだけのこと。いかにもたゞそれだけのことで、今後、どう見ても、この人物と深く関わるとも思えないものの、これはいったい、どういうことだろう、と思わざるをえなかった。シンクロニシティという、あれか。この人物にまつわる宇宙的な符号と、たまたま近接する時節に当たっているというわけか。
 この人物ひとりについてさえこんなことが起こるならば、至るところで、さまざまなテーマにおいて、世界では、似たようなことが起こっているはずだろう、と思われた。私にまつわるいろいろな情報も、偶然のように誰かのところに集まってしまう、というようなことも起こり得るに違いない。注意深く観察する者ならば、きっと、それに気づき得るだろう。今回、私はたまたま、新たな非常識な担当編集者を宛がわれたために、この人物に注意を向けるようになったのだが、そうでなかったら、実用書のことも、街での出会いも見過ごしていたかもしれない。
 恐ろしいと思わされたのは、こんなことを考えたからである。

 さらに言い添えれば、じつは、これで事は終わりなのではない。
 この人物の話は今のところ以上の通りだが、他の人々についても同じような現象が起きている。
こちらで必死になって情報を集めようなどとしないのに、自然に、いかにも偶然に、ある種の人々の情報だけが集中して目にとまり、手に入ってくる。こちらとしては、それらに注目して、頭の中でだけでも然るべき整理とスクラップをしていけば、それらの人々についてのカルテが自然と出来上がっていくのだ。
いったいなんのために?
どういうわけで?
なぜその人々だけについて?
それはわからないが、この不思議な現象が進行中なのだ。飽きる暇のない春が、初夏に入り、夏に進んでいこうとしている。


インスタントコーヒー

 インスタントコーヒーの粒子はタンパク質の膜に蔽われている。その膜を壊さないと、旨みも十分出てこないし、香りも立たない。
 そう知ってから、淹れ方に注意するようになった。 
注意といっても簡単なことで、カップにいきなり湯を満たさずに、まず少量注いで粉をかき混ぜ、濃い溶液をつくる。そうすることで膜を壊すのだ。
 そこに、さらに湯を注ぎ、飲む分量を作る。これで出来上がり。
 やってみると、段違いに旨くなる。こんな程度のことで、と驚かされる。
 個人的な工夫として、湯量を減らすようにもなった。
インスタントコーヒーを作る時は、どうしても湯を多めに注いでしまいがちになる。それを避けるのだ。
カップの半分ほどまで湯を入れ、止める。
たったこれだけのことで、ほとんどエスプレッソなみのコーヒーが作れる。もっと薄くしたければ、ほんのちょっとずつ、湯を加えて調節していけばいい。
少なめに作ってこそ、インスタントコーヒーはそこそこ旨くなる。
もちろん、本当のコーヒーとインスタントでは、どうしても味や飲み心地は違うので、こうしてできたインスタントコーヒーが最上だとは言わない。しかし、ふつうの喫茶店で飲むブレンドよりは、先ず、よほど旨いものができる。

逆に言えば、旨いコーヒーをちゃんと出す店など、本当に少ないということでもある。
人に連れられて、その人のお気に入りの喫茶店に行くことは時々あるが、まずいコーヒーを出されると、失礼ながら、その人の味覚の程度を哀れに思ってしまう。
旨い店は、ただのブレンドでさえ、ちゃんとしたものを出す。
ブレンドという名称は伊達ではない。その店で独自に練り上げた味を意味する。いちばん安い場合が多いが、ブレンドこそ店の特製コーヒーのはずで、その店ならではの味が出ていなくてはならない。煮詰まり出したような味のものを出せば、店の沽券にかかわる。
こんなことをわきまえない店が多いからこそ、偶然入った喫茶店やカフェで、たまに旨いコーヒーに出会うと、素直に嬉しくなる。その街を見直す気になるし、敬意さえ湧いてくる。


2015年5月3日日曜日

シルバーシート



  JR山手線に乗り込むと、たいして混んでもいなかったが、座席はいっぱいになっている。シルバーシートにひとつ座れるところがあったので、そこに腰を下した。両隣に老人、向かいの席には老人と若者ふたりが座っている。
私はといえば、まァ、まだ、老人とまでは言いづらい。
 スマホでちょっと確認したい情報があったのだが、シルバーシートなので控えることにした。
 だが、両隣の老人たちは、ふたりともスマホを見ている。シルバーシートは、老人だけに特化された席ではなく、他の障害のある人たちの優先席でもあるから、堂々とスマホはまずいだろう、とこちらは臆病な気づかいをする。老人はふたりとも堂々たるものである。もし私が心臓にペースメーカーでも入れていたらどうするのか。ペースメーカーには、じつはスマホの電磁波はそう影響がない、という研究結果も見たことがあるものの、科学的研究の常として、それを覆す研究結果もまたすぐに出てくるかもしれない。だいたい、車掌が車内を通るたび、「シルバーシートでの携帯電話、スマートホンのご使用はご遠慮ください」といまだに告げて回っている。
 向かい側の座席の老人は、携帯電話でなにかしゃべっている最中だ。大阪人ではないらしく、そう大きな声ではしゃべっていないので、気触りでもないが、それでも堂々としたものだ。
 若者ふたりはゲームに夢中になっている。ひとりはゲーム機、もうひとりはスマホでやっていて、おそらく、スマホのゲームのほうは通信しながらのゲームだろう。ゲーム機のほうだって、いろいろな場合があるので、通信中かもしれない。
 これが今、まさに今のニッポンである。電車会社側が要請する携帯電話やスマートホン使用制限もどこまで科学的か怪しいものではあるが、少なくとも、今の時点で、使用を控えてほしいと頼んでいるシルバーシートに座って、堂々とシルバーな老人たちがスマホを見、携帯電話でしゃべっている。ゲームをしている若者たちなど、まだ可愛いものである。
 私はべつに、腹立たしいとか、嘆かわしいとかと表明したいわけではない。人間なんて、こんなものであろう。水はつねに低きに流れる。低きに流れて本当に困る場合には、社会はおのずと厳しい措置を採るだろう。しかし、この程度なら流れてもいいだろうというものについては、適当に済ましておく。これはいつの時代にも、人間界で生きる上での極意である。どうせ、最良のかたちにはならない。こちらの思い通りにはならない。ならば、労力の無駄づかいはしまい。いい加減に放っておく。生きる上での常識と言っていい。
 幸い、私はペースメーカーも入れていないし、なにかの用あって過敏すぎる爆発物を携帯しているというわけでもない。ということで、今回は、周囲の老人や若者たちが電子通信機器を使いまくっていても、どうでもよろしい。臨機応変。あたしの知ったこっちゃァ、ござンせん、で済む。
 もちろん、自分に障害があれば黙ってはいないだろう。ギャアギャアわめく。臨機応変なのである。

 こんなケースと比べて、もっと本当にムカつきかねないのが、車内がガラガラなのにもかかわらず、こちらが座っているシルバーシートの前に立ち続けて、わざとらしく座らないでいる若者である。
 ふつうの席もガラガラ、シルバーシートもガラガラ、たまたま乗り込んだドアからいちばん近いシルバーシートに座ってみただけという私のすぐ前に、次の駅から乗り込んできて、これ見よがしに、わざわざ立ち続けるような若者がいるのだ。
向かい側の席には誰も座っていないし、あちらのふつうの席にもふたりぐらいしか座っていない。なにを好んで、私のすぐ前に立っているのか。そう思って、顔を見ると、時々こちらを見下ろして、『こいつ、老人でもないのに、なんでシルバーシートに座ってやがるんだ?』といった目を向ける。
そこまで若者は考えていないかもしれないが、そんなことをこちらに思わせる目や顔つきで、鬱陶しいやつだ、はやく向こうに行って坐りやがれ、と思う。存在が邪魔なんだよ、おまえ、と思いは募る。
まぁ、すでに人生経験も短くないものだから、思いは自分そのものでなく、かなりの部分が単なる自動運動である、とさんざん叩き込まれてきているので、こんな思いにたぶらかされて行動したりはしないし、感情を動かしたりもしない。
だが、この若者はなにを好き好んで、私の前にこんなふうに立ち続けているのだろう、との思いは、やはり続く。ガラガラの電車の中でも立ち続けようとする自分を確かめたくて、しかも、それを他人の目にも印象づけたくて、わざわざ見知らぬ他人の前でこんなふうに立ってみているのだろうか。若者にはありがちな奇行のひとつというべきだが、これはやはり、精神異常のひとつと見なして、ひとつ研究でもしてみるべき材料かな、などと、さらに思いは続く。
もちろん、この若者とともに寄せ来たテーマは、このあたりで思いの中で薄まり始め、まァ、こういう人もいるものだとか、人間はそもそもこんなものじゃないのかなどと、収束方面に動き出す。ヘンな人物たちだけで作り上げられているドストエフスキーの世界などをうまいぐあいに思い出したりすれば、若者への不審もムカつきも、もうさっぱりと消えてしまう。小説だの演劇だの映画だののフィクション世界にたっぷり触れておくと、こんな効用もあるというわけではある。
ここまでこちらの気持ちがほぐれれば、立ち続けていた若者がこちらより先にどこかの駅で降りてしまったりした時、きみ、よく頑張って立っていたなァ、と思いながら、ホームを歩いて行く姿を追ってみたりすることもある。若さから来るツッパリや見せつけは年長者には鬱陶しく見えるが、考えてみれば、それらを見せつけられるのも、そう悪いものでもない。こちらにはもう、すっかりなくなってしまった過剰なもの。あゝ、若さというものに触れたな、と思う。
川端康成の『古都』に、祇園ばやしの聞こえる晩、めずらしく来客があって、主人公の千恵子と同じ床を特別に母がとる場面がある。捨て子だった千恵子にとっては育ての母で、やさしく、よくしてくれているが、千恵子は心の中で、感謝とともに、血の繋がっていないことの隔てを思っている。
その育ての母が、その夜だけは千恵子とともに寝る。敷いておいた千恵子の布団に横になった母は、
「ええ匂いがするわ。若いひとやな」
と明るく言うのだが、こんな気づきの喜ばしさも、若さを失ってこそ、ようやく素直に認めうるものかもしれない。
若さから来るツッパリも見せつけも、また、過ちも不器用さも、すでにその頃あいを過ぎた者には、時分の花ともいうべき若さの匂いの一部である。